資料集

1)六名雑記(天野 敬次著)

六名の生い立ちから描かれている雑記。六名という名称は相当古いことがよく分かります。朝廷との関係も読み取れます。以下引用:【六名の名のおこり 昔この地は熊野神領であって、二十八代宣化天皇の皇女小石姫命が支配せられ、御在所を景山に置き皇子六柱を産み給うた。その節産帯に石を抱いて安産を真宮に祈られ、何れも安産し給うた。これを大いに喜ばれ、この六つの石を字石神の地に祭られ、六ッ石邸と称したのが六石の始まりとされ、これが何時の間にか六名に転訛若しくは書き間違えられたのであろうという】


2)岡崎の歴史物語(愛知県鄉土資料刊行会)

「平安のはじめのころ」として、稲前神社(現・稲熊神社)のおこりについて明記されている。六名及び六ッ美地区と神宮との関係が読み取れます。以下引用:【平安時代の初めになると、岡崎の低地では稲作の技術も進み、なかでも六名から六ッ美にかけての一帯は、よい米作りの土地として調停でも大切なところとされてきた。豊かな恵みをうけること土地は、やがて、伊勢神宮の領地となった。これを見下ろす天神山の南はしに、岡崎でもいちばん古い神様がまつられた】


3)岡崎市三浦太鼓店の六代目のブログ

古い太鼓の中には太古の歴史が隠されているようです。
一つの太鼓が物語る歴史(2014年7月15日火曜日)からの以下引用。

【甲山寺は三浦太鼓店と同じ六供町(ろっく)に立っているのですが、
そもそも、六供町の由来そのものが、その昔6つのお寺が立って
いた事から六供町になったんだと教えていただきました。

残念ながら現在その6つのお寺で唯一残されたのが
甲山寺(極楽坊)だそうです。

一つの太鼓から、やはりいろんな事が
学べますね!

こんな機会を与えていただいたのもご縁だと
気になってその6つのお寺の名前調べてました。

東圓院、多寳坊、極楽坊(甲山寺)、吉祥坊、花蔵坊、法壽坊

だそうです。】引用ここまで。

本当のことなら、この史実はかなり有望な情報である。比叡山延暦寺のひとつの役割は、平安京の鬼門守護にあったというのは有名な話。同じような関係が伊勢と岡崎に成立し、もしこの六つのお寺が伊勢の鬼門守護としての役割を担っていたとしたら、六供こそがキーポイントになります。ただし、甲山寺は岡崎城からみても鬼門の方向に当たるため、岡崎城の鬼門守護とも考えられるところが話をややこしくします。

同じ記事中にこのような表記がある。以下引用。
【岡崎市の文化財に指定される歴史と由緒あるお寺で西暦808年に最澄が安城市に創建したものを徳川家康の祖父である松平清康が、岡崎城の鬼門であるこの地に移したのがこのお寺だと、住職が教えてくださいました。】引用ここまで。

西暦808年といえば、平城京から平安京に遷都された直後の平安時代。
さてさて。


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